弁天池横の行者堂まで長く続く階段は、ところどころ苔生し、樹木の間から射す陽光が降り注ぎます。もしかすると行者堂にこもる修行僧の念仏が聞こえてくるかもしれません。清廉(せいれん)な空気と芳醇な時が流れています。
池の中に、なるかわ弁財天女の石像が祀られています。本堂に祀つられている弁財天と共に、勧請緒神(かんじょうしょじん)として信仰されています。
鳴川神社の隣に、石組の祠の中より清水が僅かに湧き出しており、古くから仏様に供える霊水として、大切に守られてきました。
役行者が千光寺を開いた時、牛頭天王(ごずてんのう)、春日大明神、勝手大明神を鎭守として勧請し、後に白山大権現を勧請し、以来四社明神として祀られています。神仏分離の際村社となり、現在に至ります。
宝塔は一見五輪塔を思わせますが、これは宝塔であり、古い五輪塔の素形を考える大切な資料です。十三重層塔には、塔身部に金剛界四仏の梵字が刻まれ、宝塔と共に鎌倉時代の物と見られます。
弁天池から行者堂へとまっすぐ伸びる階段は、森閑さと凛とした空気があります。年経た樹木と石段そして行者石仏群。木漏れ日の中、訪れる人を包み込む静謐さがあります。
本尊 弘法大師坐像
宗祖弘法大師、二十三歳の御尊体が祀られています。
修験道秘法の一つ、柴燈大護摩供を修行する道場です。参拝者の願いを書いた護摩木を焼き尽くし、願いが成就するよう祈ります。
本尊 役行者坐像 前鬼・後鬼像
役行者が将軍木の残り木でもって、自らの像と前鬼・後鬼像を刻んだと云われています。毎年、戸開け・戸閉めの儀式が、阪堺役講によって執り行われます。
役行者の持ち物と履物をもって、男性は鉄錫杖を三度持ち上げ、女性は鉄下駄を履いて三歩あゆむ事により、良縁が得られると云われています。