直径15m、高さ1.5m程の円墳で、明治26年の記録には「丸石で三重に囲む」とあり、その下には削平された前方後円墳の梨本南2号墳に後円部を重ねて埋没している。
江戸時代の伝承に基づいて宮内庁より奈良時代初めの左大臣長屋王の墓に治定されている。
北東にある夫人の吉備内親王の墓と共に双墓と呼ばれている。
【長屋王】
長屋王は、天武天皇の皇子である高市皇子の子として生まれた。
奈良時代の皇親政治家で、聖武天皇が即位すると、左大臣に就任して活躍した。
729年に長屋王邸に出入りしていた塗部君足・中臣東人が、「国を傾けようとしている」と密告し、すぐに宮廷を守る兵が長屋王の邸宅を包囲した。
翌々日、長屋王は謀反の罪で自害した。
また、夫人の吉備内親王や4人の子供たちも追って自害した。
最寄り駅 | 近鉄平群駅 |
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住所 | 平群町梨本字前758番地 |
アクセス | 平群駅より徒歩10分 |
備考 | 宮内庁治定(明治34年) |
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