平群町のゆるキャラ「左近くん」のモデルを知っていますか?
その名も嶋左近清興。天下分け目の合戦"関ケ原の戦い"で「鬼左近」と恐れられた平群町ゆかりの戦国武将です。
今回は歴史が苦手な人にもこどもたちにも嶋左近の魅力をお伝したいと思います。
嶋左近は簡単に言えば、豊臣秀吉の家来の家来です。秀吉は田舎の百姓の生まれから大出世し大阪城を築き、関白となった言わずと知れた天下人。その秀吉の側近石田三成は非常に賢い頭脳の持ち主で、正義感が強く、政治的に秀吉を支え忠義を尽くしました。彼も有名ですね。三成は秀吉亡き後、徳川家康と関ケ原で天下分け目の合戦を繰り広げました。嶋左近は石田三成の右腕として仕えた智将で、この関ケ原の合戦で大活躍し歴史に名を残しました。
「三成に過ぎたるものが二つあり。嶋の左近と佐和山の城」と俗に歌われたように、左近は三成にはもったいないほどの武将であったと伝わっています。三成は当時牢人(主君を持たない、今で言う"フリーランス"的な者)であった左近に自分の禄の半分を与えて召し抱えたと言われています。破格の待遇ですね。それほどまでに左近にほれ込んでいたということでしょう。
東軍(徳川家康軍)と西軍(石田三成軍)が衝突した天下分け目の合戦。半日たらずで東軍が勝利しました。
のちに敵将が関ケ原を振り返り「左近の戦う様子は今思えばまことに身の毛もたち冷や汗の出ることよ。しかし、左近がその日着用した武具や甲冑を思い出せないほど自分が狼狽えていたことは恥ずかしいことだ。」と語ったほど恐れられていたと伝わります。
嶋左近と平群町
嶋左近についてはなぞに包まれており、歴史上の記録があまり残されていません。諸説ある中で、平群谷の嶋氏一族の出身であり、椿井城を居城としていたのではないかという設が有力視されています。嶋左近は男気溢れる平群町ゆかりの武将です。
最寄り駅 | 近鉄生駒線:竜田川駅徒歩15分(登り口まで) |
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駐車場 | 道の駅大和路へぐり第2駐車場から徒歩11分(登り口まで) |
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