今でも土塁、堀、城門跡等が残り、城の輪郭をうかがうことができる城跡。
その規模は東西550m、南北700mもあり、奈良県で最大規模の山城として研究者に注目されている。
室町時代にはある程度の山城が築かれており、その後も戦国期にかけて河内と大和を結ぶ要衝として布陣場所に利用されている。
そして、永禄2年(1559)、この城の新たな主として松永久秀が入城、城の備えを固める。
信長が久秀の命と引換えに望んだ天下の名器「平蜘蛛の茶釜」に火薬を仕込み爆死したともいわれている。
その日は、久秀が筒井・三好三人衆との戦いにおいて東大寺大仏殿を焼いたとされる日と一致し、その因果(仏罰)だといわれている。
この久秀の夢の跡が信貴山の霊峰に残り今日も見ることができる。
最寄り駅 | 近鉄信貴山下駅 |
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住所 | 平群町信貴山 |
アクセス | 信貴山下駅より奈良交通バス10分 |
備考 | 町指定史跡 |
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