平群町ゆかりの戦国武将と言えば嶋左近と松永久秀ですね。二年前のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で吉田鋼太郎さんが演じた松永久秀を皆さん知っていますか?六月号コラムの嶋左近につづき、今回は松永久秀のことを知ってもらえたら嬉しいです。
松永久秀は三好家のち織田信長に仕えた武将です。三好家は小・中学校の教科書になかなか登場しない名前ですが、織田信長は有名ですね。松永久秀はその信長のバックアップにより、信貴山城を拠点とし大和国(現在の奈良県)の支配を進めました。しかし最期は信長に背き、信貴山城に立てこもり自害しました。
松永久秀には三つの悪の逸話が残されています。 "将軍(武家のトップ)の殺害""主君三好氏(自分の殿様)の殺害""東大寺大仏殿の焼き討ち"です。信長にも二度背き、下剋上の代名詞とされ、「乱世の梟雄(=残忍で勇猛な人)」と呼ばれました。
しかし、一方で火縄銃をいち早く取り入れたり、後世に影響を与えた新スタイル建築の多門山城を築いたり、先駆者としての才能もありました。茶の湯を嗜む文化人であり、最近の研究では三好家へ忠節を貫いた実務家であったという人物像も浮かび上がってきています。
久秀の生まれについてははっきりとわかってはいません。そのような低い身分から戦国時代を代表する武将になったのは、才能と努力と実力があったのでしょう。最期は信長に攻められ、「名茶器:平蜘蛛の茶釜を差し出せば命は助けてやろう」という信長の言葉に意地を張るように、立てこもった信貴山城で平蜘蛛をたたき割り自害するというセンセーショナルな死を遂げたという伝説が残ります。この日は奇しくも東大寺大仏殿が焼け落ちた日と同じ一〇月一〇日でした。
戦国の世に大和の支配を攻防した武将たち。その中に名が残る嶋左近と松永久秀は、平群町ゆかりの武将です。さぁ、歴史ロマンに想いを馳せて信貴山城・椿井城を訪ねてみませんか?
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